いつものように授業を抜け出す
俺「今日は部室で漫画でも読んでるか」
廊下に出て、ふとトイレに立ち寄る
馴染みのメンツが数人たむろしている
と、同時にひどく煙たい
俺 「くさっ」
なぜか笑う男たち(というか女子までいる)
男 「吸う?」
俺 「いや、いらん」
一同「ヘタレか」
俺 「度胸があるなら廊下か庭で吸え、その方が気持ちええで」
押し黙る連中
横目に用をすます
そのままトイレを出る
なんとなくサボるのが気分悪くなって一度教室に戻ることにした
いつの間にか休み時間、どうやら熟睡していたようだ
と、先ほどの男が寄ってくる
男「絶対チクんなよ」
俺「はいはい。」
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この日を境に13歳の私は学校へ行くのを辞めました。
たったこれだけのやり取りを受けて「学校へ行く」という行為すべてが馬鹿らしくなってしまったんです。
不良にイジメられたんじゃないかって?
全然違います。
※その頃の私はチビではありますが、1日200回以上の腕立て・腹筋・背筋をこなすムキムキバレーボール野郎でした
当時の私がどこまで論理的であったのかは定かでありませんが、
「隠れて悪いことをしよう」
「先生にばれたくない」
こんな感情が読み取れる時点で不良ではなく不良に憧れる少年でしかなく、
彼らがスクールカーストの上位に位置するというだけで、
「学校」そのものの環境に嫌気がさし興味がなくなってしまったのだと思います。
ここから中学3年の春に至るまで、私は不登校を続けました。
その間、親だけでなく、頻繁に先生も家を訪ねてきて、
私が不登校になった原因を探り、解決しようといろんな話をしてくれました。
今となっては有難いことですが、当時の私には「イジメられてるけど本当のことを言えないかわいそうな子」のような目で見られること自体非常に気に食わないことでした。
しかも、どんなに探っても明確な理由なんてないので解決できるはずがなかったんです。
私にとって、「学校に行きたくない理由がある」わけではなく、「学校に行く理由がない」というのが正直な感情でした。
例えば、母親が奮発して買ってきた高級なステーキが晩御飯に並んでも、内心「なんとなく今日はステーキが食べたくない」という子どもは、どんなにステーキの品質の良さを語ったところで食べて喜ぶことはありませんよね。
母親はきっとそのあと「今日調子悪いの?」と聞くと思いますが、「なんとなく」以上の回答はあり得ません。
当時の私に大人たちはみな、「学校に行かないと将来に響く」「今の学校は楽しいところだよ」と言いましたが、説得するには不十分だったのでしょう。
大人と子どもの乖離は、正論の強制から生まれやすいんだと思います。
「学校には行くべきだ」
「成績は良い方が良い」
「野菜は食べないといけない」
「動物は殺してはいけない」
これらは確かに正論だと思いますが、なぜ正論たらしめているか?をちゃんと理解して語ってくれる大人は多くいません。
不登校の子どもを抱えている大人だけでなく、子どもを持つ親や教育に携わる方にはぜひ、「学校には休まず行きましょう」ではなく、「あなたにとって学校とはどういう場所ですか?」から始めて子どもたちの意見を聞いてみてほしいと思います。
彼らが「勉強するための場所」と答えたら、「なぜ勉強するのですか?」と続けてください。
彼らが「友達と遊ぶための場所」と答えたら、「なぜ友達と遊ぶと楽しいのか?」を深堀ってあげてください。
それらの会話の先で、「じゃあ学校は毎日行かないとね!」とお互いに納得できて初めて、学校に毎日行けばいいんだと思います。
ただし、当然子どもたちは日々成長します。どんな言葉が返ってきたとしても次の日には変わっているかもしれません。
大事なのは対話の頻度です。
あと、ちゃんと大人も新しい知識を入れて、日々自身の考えをアップデートしましょう。
今は1児の父となった私は彼にとって一番の手本でありながら、一番近くでともに成長する存在でありたいと思っています。
最後に一言、
学校行かなくても人生は絶対終わりません。
ただもしかしたら後からやってくる悔いを、少しでも抑えて次に進むために、
「自分の選択肢は自分で決める」ことだけ心に留めておいてください。
※子ども、親関係なくそれぞれ
全部自分のためです。楽しく生きましょう。
不登校の体験談を引き続き募集しています。(当事者や保護者など)書き方マニュアルを作っていので書きやすいと思います。詳細はこちらの記事を。
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