わたしは、いわゆる中1ギャップで中学1年生の春から不登校になりました。
小学生の頃からクラスの女子と上手くやるのがとても苦手でした。
よく仲間外れにされ、帰り道は独り泣きながら家に帰りました。
中学校には、周辺の3つの小学校から生徒が入学することになっていました。
しかし、大半が大きな小学校からの生徒で、わたしの小学校から入学する生徒数は全体の5分の1でした。
ただでさえ知らない人だらけのクラスの中に、そこまで仲良くない小学生からの同級生が数人いるという環境に置かれました。
特別いじめがあったわけではありません。
でも、わたしには無理でした。
とりあえず女子のグループに混ざったものの、リーダー格の子が好きと言ったバンドを全員が好き好き、と言う世界に共感できませんでした。
トイレにみんなで行かないといけない世界に従えませんでした。
とにかく教室に馴染めませんでした。
だんだん朝が辛くなり、
「学校行きたくない」
と頻繁に母に言うようになりました。
学校すら行けなくなった自分が、価値のない人間に思えました。
みんなと同じにできない自分、「普通」じゃない自分、こんな自分、いなくなった方がお母さんも幸せじゃないかな。
次第に「学校行きたくない」から
「死にたい」と言うようになっていました。
母は言いました。
「学校なんて行かなくていい。
もう学校行けって言わないから、死にたいって言わないで」
母に感謝しています。学校に行かないことを許してくれました。
わたしはゴールデンウィークから学校に全く行かなくなりました。
母はフリースクールなどを探して連れていってくれましたが、どこも行く気が起きませんでした。
父には義務教育くらいちゃんと受けろと怒られました。
学校も家も嫌になってしまって、それでもわたしも「普通」に戻りたい。お母さんを安心させたい。何か方法はないだろうか。
たどり着いたのが山村留学でした。
ネットで「山村留学」で検索して1番最初にヒットした施設に見学に行きました。
母は半日以上かけて高知県の山奥の施設までわたしを連れて行ってくれました。そこには少人数ですが全国から不登校の中学生が集っていました。
その後約2年間わたしは高知県で山村留学をしました。施設から全校生徒が30名程度の小さな中学校に通いました。
そこでも数回不登校になったり、施設の子とトラブルになったり色々ありましたが、中学3年生の1年間は皆勤賞でした。両親と高知の皆さんのおかげです。
やっと「普通」に戻れたのかもしれない。でも、「普通」じゃなくても良いのかもしれない。
不登校の経験は、今のわたしのキャラに生きていると思います。
今はもう「普通」など気にせず毎日自分なりに過ごしています。
現在は両親のいる地元に戻って高校教員をしていますが、不登校になる生徒はどの学校にも必ずいます。
そこまで特殊な事例ではないです。
だから焦らないで欲しいです。
誰だって不登校になる可能性があります。不登校になるからってその人がおかしいわけじゃない。
わたしは地元の中学校以外の道を選んで、あの学校のみんなとは違う道だけど自分なりに歩んでここまで来ました。
不登校になって悩んでる本人にも、その保護者の方にも、伝えたいのは焦らなくていいってことです。
今いる学校なんて、ただの偶然の同年代の寄せ集めです。
たくさん道はあるんです。
もっと視野を広く持ちましょう。
あと、親と先生以外の大人と話すことをお勧めします。
色んな生き方をしている人がいます。色んな価値観に触れましょう。
学校なんて行かなくても大丈夫さ!と味方になってくれる大人に出会えるかも。
わたしは学校以外の道を歩ませてくれた母に本当に感謝しています。
子どもは何だかんだ親を心配させたくないんです。お母さんの笑顔が大好きなんです。
もし自分の子どもが悩んでいたら、誰よりも味方でいて欲しいです。
いじめにあっていようと不登校だろうと、愛していることをちゃんと伝えて欲しいです。
不登校の経験から自分のような子どもを救いたい気持ちが芽生えて教育の世界に入りました。
先生が向いているか分からないけど、毎日夢中で駆け回っています。
夢は、
・歌って踊れる先生になること。
・「親も先生も大嫌いで学校なんて行きたくないし先生になんか会いたくない。でも、あの先生ならちょっと顔見せてあげてもいいかな。」
と生徒に思ってもらえる先生になること
です。
P.N もりなっちゃん
不登校の体験談を引き続き募集しています。(当事者や保護者など)書き方マニュアルを作っていので書きやすいと思います。詳細はこちらの記事を。
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