私の不登校は中学2年生の10月の1か月間だけ、自分の意志ではなく父親の判断でした。
中学入学後、私は親友とバスケ部へ入部し、1年生ながらレギュラーとして試合に出ることが続きました。
ある日、親友が「ちさきが先輩の悪口を言っている」と3年生の先輩に嘘をつき、先輩たちから部室に呼ばれました。
そこでは髪の毛をつかまれ、殴られ、怒鳴られ、土足で踏みつけられるなど暴行を受けました。
(今でも、怒鳴っている人が近くにいると、言葉が出なくなるほど苦手です。)
私は暴行を受けたことが怖すぎて、教室に戻って外が暗くなるまで泣き続け、見た目も心もぼろぼろで帰りました。
母は娘の変わり果てた姿を見て、泣きながら父へ相談し、父がすぐに学校に訴えに行ってくれました。
暴行をした3年生の先輩と、先輩たちの親が校長室に呼ばれ、その場にいた人たち全員が謝罪してくれました。
1番暴行してきた先輩の親からは「怖い思いをしたでしょう?本当に申し訳ございませんでした。ちさきさんの気が済むまで殴ってください。」とまで言われるほど謝ってくれました。
しかし「私が先輩の悪口を言ったという嘘が原因」でしたが、「その嘘を言い始めたのは誰なのか?」など原因は究明されず、バスケ部は休部になりました。
3年生が起こした事件で休部、さらに理由は明かされない状態だったため、暴行事件に関係ない2年生の先輩達からは、廊下で会う度に舌打ちや陰口、叩かれたり逆恨みを受けていました。
学校内で真実は話されることはなく、学校全体が「ちさきのわがままで、バスケ部が休部している」という認識をされている状態でした。
暴行を受けたのが狭い部室だったので、それがトラウマとなり、私は自宅のお風呂もトイレも怖く、泣きながら入る状態でしたが、不登校=負けた気がして、悔しくて、休まずに学校へ行っていました。
私が休まずに通学していたことで、1年生の親御さんたちが「うちの娘はバスケがしたいのに、できないなんて可哀そう」「ちさきさんはもう大丈夫そうだし、休部を解いてほしい」と学校に訴えが来ました。
学校の先生からも「ちさきさんは毎日学校に来てますし、(今より太ってたから、表面上)元気そうなので大丈夫ですね」と言われ休部が解除されることになりました。
真実も明らかにされないまま休部の解除をした学校の態度に激怒した父が「もうあんな学校に行くな」と言ってくれて不登校になりました。
不登校中、先生たちは家まで謝罪に来たり、山梨県の報道局から取材依頼も来ました。取材に関しては、学校や教育委員会側から「話さないでくれ」と口止めが入り、真実は明らかにはなることはありませんでした。
不登校のまま1か月が経ち、学校側がバスケ部休部を決定したので、私は再び通学を開始しました。
暴行事件から1年経っても真相は明かされないので、私は現状を変えたくて、元気そうに見える太っていた体型を変えることにしました。
当時は163cm、62kgでしたが、3か月で体重を44kgまで落とし、制服がぶかぶかになるまで痩せました。
私の別人のような姿を見て同級生が「一体なにがあったの?」「本当のところは?」と聞いてくれるようになり、少しずつ村八分状態の環境は改善していきました。
しかし真実は在学中はもちろん、卒業しても公にはされず、嘘をついた親友からの謝罪はありませんでした。
私の不登校をした中学2年生の10月は、学校全体、教育委員会への訴えのためのものでした。
毎年10月になると、受けた暴行や全員の態度などの記憶がよみがえります。
精神的ダメージは薄れましたが、決して忘れることはありません。
両親からは「勝ち負けじゃなくて、無理をしないで。行かなくていいんだよ。」と言われてましたが、私は悔しい!の一心で通学していました。
その一言を言ってくれた両親には感謝しています。
16年経っても忘れらないないほど、心の傷は深かったので、今では当時無理をしなければよかったのかなと思います。
親御さんや、保護者の方はお子さんの気持ちを尊重するだけでなく、大人の判断で「子供のためにならないと思ったら不登校の判断をしてほしい」と思い、今回こちらを書かせて頂きました。
ご本人だけでなく、親御さんたちへ届くと嬉しいです。
ちさき(@chisaki_w )
不登校の体験談を引き続き募集しています。(当事者や保護者など)書き方マニュアルを作っていので書きやすいと思います。詳細はこちらの記事を。
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