僕は小学校から10年間、不登校でした。だけどさまざまな出会いやきっかけがあり、高校生3年生の時に起業しました。僕の経験が同じように不登校で悩んでいる子の役に立ててばと思い、今までも僕の実体験をもとに発信てきました。だけど不登校にはいろんなタイプがあるので、僕の体験がすべてに当てはまるとは思っていません。ということで、不登校の経験がある方々との対談企画を全8回に渡ってお届けします。
たくさんの事例の中で共通することはなにか。また不登校の経験がいまどのように活きているのかを聞いてきました。
第1回のゲストは、不登校からバンドマンになった「JERRYBEANS」です。
※この対談は、書籍「不登校から高校生社長へ」に収録したものを、一部加筆・修正したものです。
(プロフィール)
JERRYBEANS ( 山崎史朗 ・山崎雄介 ・八田典之)
1998年結成。双子の兄弟であるボーカル&ギター山崎史朗、ドラム山崎雄介、そして不登校を通じて知り合ったベース八田典之からなるバンド。
3人とも小学校高学年から中学校3年生まで不登校で、ひきこもりだった時期もあった。
そんな経験からなるメッセージを、語りと歌で伝える講演ライブスタイルで、全国に向けて届けている。主に、学校や福祉施設または地域のイベントで、年間約100回の講演ライブを行なっている。
小幡和輝(以下、小幡):まず、どうして学校に行けなかったのかっていうところから、話しましょうか。
山崎雄介(以下、雄介):俺と史朗は双子で、5才までは毎日田んぼで虫捕まえていつも二人で遊んでて。幼稚園は大きい組から入って、その時の一年の差は大きくて、よそから来た子みたいな空気でみんなの輪に入れなくて集団生活が嫌になったな。
小学校に入ってもその感覚がとれなくて3年生くらいで、突然体に痛みが出はじめて、病院に行っても身体的な原因はわからんくて、そこから遅刻して登校するようになった。そして5年生の時に先生に「字が汚い」って言われたことがきっかけで不登校になったな。小幡くんは?
小幡:僕は最初から違和感あって。5つ上のいとこと仲良くて、普段接する情報が、5つ6つ上くらいが当たり前みたいな感じで、勉強自体は楽しかったけど、簡単すぎるんですよね。
合ってるのに、僕が間違ってる、みたいな空気になって、楽しくなくて。でも父親が教師なので、行かなきゃいけないみたいな義務感もあって、勉強ができるからか、いじめにも合って、一番つらかったですね。
山崎史朗(以下、史朗):俺らは勉強できひんかったけど、逆にできることでしんどいっていうのもあるんやな。みんなとちょっとでも違うと、嫌な気持ちが生まれるんやな。
小幡:学校ってコスパがいいんですよね。大量生産モデル。でも、その中に合わない人間もいるじゃないですか。それを無理やり合わせるんじゃなくて、ここが一つの基準ではあるんだけど、合わない子も認められたら、ってすごく思ってて。
八田典之(以下、八田):俺は勉強もスポーツも普通、友達もまぁまぁ普通にいて。だから特に先生にも親にも心配かけへんタイプの子で。それを自覚してたし、悩みや嫌なことがあっても言わへんかった。
小学校高学年になって、クラスの雰囲気が悪くなって友達関係の悩みも出てきても、誰にも相談できひんくって、心も体もしんどくなって、ていう感じやな。
雄介:「なんで行きたくないの」って言われても、わからへんよな。自分でも整理できてないことを人に伝えるのは無理やもんな。途中からは本当の理由ではなく、「親や周りの人が納得する理由」探しに変わっていった。
ほとんどの不登校の子が自分のもやもやとかしんどさの原因を整理できてないと思う。自分に対する嫌な気持ちとか「わからなさ」みたいな違和感で苦しんでると思う。
史朗:しんどくなる理由を「これ」とかいうと、親はそれだけを解決しに行くけど、解決されたところで、違和感は消えへん。もっと根源的なしんどさがあるから、戻れる気しいひんのに。
小幡:ほんとそれ、わかります。
小幡:学校に行かなかった期間は、どうしてましたか?
八田:最初の頃は、ゲームばっかりやってた。でも充実感はなくて、他に何かできることがないかと思って始めたんがギター。楽しかったし、親も応援してくれて充実感があった。それに近所の音楽教室の先生が、人前で演奏する機会に僕を誘ってくれて。緊張したけど、必要としてもらえたことが嬉しかった。
小幡:僕もゲームで、中学からは遊戯王カードにはまって。学校というところでは評価されなくても、ゲームをやれば高校生よりも強かったし、評価されて、嬉しかったですね。小学校の時は、「適応指導教室」に通ってて、卓球やトランプやって、仲間がいて、価値を感じてて。でも考えたら、その名前やばくないかって(笑)。
学校に行かないことは不適応、みたいな。冷静に文字だけ見たら、矯正させられるわけや。適応するように、「正しい」に戻すように。ハードル感じる子がいるんちゃうかって思いますね。
雄介:学校に行けへんだけやのに、「自分は心の病なのか」とか、まずそれを認めるというか、受け入れなあかんって思うことがまずしんどい。適応指導教室も、本当はホッとできる場所でも、入り口の段階でものすごく自分に問われる。
史朗:「学校に行かなきゃいけない」っていうのがあるから、みんな苦しいんやと思う。「行きたくない」って言うことに罪悪感がある。行きたい子の道、行きたくないけど勉強したい子の道、とか選択肢があればいいけど、「学校に戻ること前提」って言われたら、戻りたくない子は通えへんよな。
小幡:小学生も通信制はじめ色々な選択肢があればいいですよね。
後編はこちら
不登校は才能。社会に出たら「人と違う」が個性になるのだから。JERRYBEANS×小幡和輝対談(後編)
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ある日を境に一人ぼっちに。逃げ続けた先に見えた、好きと才能を生かす世界。家入一真×小幡和輝対談(前編)
不登校でもいい。学校以外に居場所を見つけよう。河合未緒×小幡和輝対談(前編)
田舎ならではの狭いコミュニティが辛かった。吉藤オリィ×小幡和輝対談(前編)
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小幡和輝 Kazuki Obata (@nagomiobata)
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NagomiShareFund & 地方創生会議 Founder/内閣府地域活性化伝道師
1994年、和歌山県生まれ。約10年間の不登校を経験。当時は1日のほとんどをゲームに費やし、トータルのプレイ時間は30000時間を超える。その後、定時制高校に入学。地域のために活動する同世代、社会人に影響を受け、高校3年で起業。様々なプロジェクトを立ち上げる。
2017年、47都道府県すべてから参加者を集めて、世界遺産の高野山で開催した「地方創生会議」がTwitterのトレンド1位を獲得。その後、クラウドファンディングと連携した1億円規模の地方創生ファンド「NagomiShareFund」を設立し、地方創生の新しい仕組みを構築中。GlobalShapers(ダボス会議が認定する世界の若手リーダー)に選出。
メディア出演 NHK・フジテレビ・日本経済新聞・The Japan Times など