僕は、以前一年程、不登校に近い時期がありました。
その期間に得た、お話をしたいと思います。
僕は、低血圧のせいもあり、朝起きるのが苦手で始めのうちは、たまに学校をサボる程度だったのですが、だんだんと学校の授業について行けなくなりました。
その頃は、少し焦っていたのですが、日が経つにつれて、それすらも嫌になって行き、なにより、人間関係に対する不安が大きくなってきました。
周りの友達は、学校にいくと心配して気を使ってくれるのですが、それすらも面倒に感じ、なにより周りの話題について行けなくなりました。
日常の出来事、昨日学校で起きたこと、
クラスでこんな面白い事があった事、
学校に行かない事によって、周りの人達との出来事
を共有できなくなってきました。
そして、高校一年の夏、
僕は学校に行かなくなりました。
家では、昼過ぎに起きて、ぼーっとしたり、ゲームをしたり、なにも生まれない日々を延々とすごしていました。
母は、とても心配していたと思います。
毎日、自分の部屋に気にかけて話しかけて来ました。
ただ、母は無理やり学校に行け、と
怒鳴りつけてくるようなことは、一度もありませんでした。
母が僕に言ったのは、
「母さんがあなたの人生を決めるわけじゃないから、良い大学に行きなさい、ちゃんとした会社に勤めなさい。なんて事言わないよ。
けど、
自分のやりたい事が見つかったら、全力でやりなさい。学校へ行くことが全てじゃないからね」
という言葉をかけてくれました。
母は、普通の大学ではなく、美術大学を出て、
就職活動なども、一般の四年生大学と同じではなかったので、みんなと同じが正しいわけじゃない
という事をよく口にしていました。
この言葉を言われて、当時、もうどうでもいいと燻っていた気持ちが軽くなったのを今でも鮮明に、覚えています。
そんな時、近所を散歩していたとき、近くの家から
とても綺麗なピアノの練習する音が聞こえてきました。
とても、綺麗な音色で、とても心に響きました。
それがきっかけで、ピアノを習い始め
朝から晩まで、ピアノに没頭しました。
母は、僕がピアノをやりたいと、話したとき
小さく微笑んで快諾してくれました。
ピアノをやり始めてからは、誰に言われるでもなく
好きな事に没頭したせいか、出来るにつれ
気分も明るくなってきました。
そして、一年ぶりに学校に登校出来るまでになりました。
周りの友達は、前と同じように話しかけてくれました。
嬉しかったです。
高校三年生の時、合唱コンクールの
ピアノの伴奏を任されました。
あの時、不登校にならなければ、
ピアノに出会えなかったと思っています。
大げさだとは思っていません。
あの時、母が無理やり学校へ行け、
と言わず、自分の好きな事をさせてくれた事に
心から感謝しています。
人にはだれでも、長所があります。
もちろん学校は大切ですが、
それだけが、全てではないと僕は思います。
不登校の体験談を引き続き募集しています。(当事者や保護者など)書き方マニュアルを作っていので書きやすいと思います。詳細はこちらの記事を。
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