1995年 高校1年の春、女子校に通うことになった私は、入学式には出席できたのに、数週間もしない内、不登校になってしまいました。
今なら その原因ははっきりわかります。
高校で別々になった親友との別れです。
私は内向的で会話の声も小さく、ひそひそ話し くらいでした。
親友は私とタイプが似ていたので、一心同体のような仲良しでした。
しかし高校の進路で離ればなれ になり、自分の高校の入学式で、一人ぼっち の孤独を身に染みて感じることに なったのです。
●焦らない両親
入学して1週間が過ぎ、2週間が経って、学校に行けなく なりました。
それは1年半 続くことに なります。
元々 存在感がなくて、同じ様に大人しい人が いつも私の側に居てくれましたが、満たされなくて、不登校に突入しました。
当時は自分のことが わからなくて、出られない自分が情けなくて惨めに思いました。
私の父・母は特に責めたりせず、後々、結果それに救われたと思っています。
特に母は何も言わず、登校するとかしないとか行動は、私に任せてくれましたから。
おかげで当時 気兼ねなく不登校で いられました。
母は専業主婦。まるで私が居て嬉しいかの様に世話をやいてくれました。
大人しかったので、特にやることもなく、マイペースに学習していると、母は1日1回は必ずオヤツを運んでくれたので、申し訳ない気持ちです。
●女性担任の対応
うちの担任は大らかな人で助かりました。
不登校になった時は毎日 連絡してきて様子を聞かれましたが、長くは なかったです。
その後は必要最小限に、学習すべき教科と範囲を週2で教えてくれて、自宅訪問は月1でした。
「どうお?」
と簡単に聞くだけで、追い詰められそうな事も言わないでくれたので感謝しています。
●クラスの子が心配してくれました。
先生の指示と思っていますが、学級委員が時々電話をくれて、
「待ってるよ。」
実はこれには焦りました。行きたいのです。
でも心と体のバランスが崩れていた、というのでしょうか、体がそうしないのです。
ある日、聞き覚えのない女子からの電話に母が応対し、
「そう伝えますね。」
という声がして、その事を母に聞き、誰だろう と思っていました。
なぜなら、不登校になった1年生の時から、もう2年生になっていたので、数人の顔しか浮かばなくなって いたのです。
名前も1年の時の学級委員しか覚えがなく、クラスも学校も遠くに感じました。
正直、登校することを思い描けなくもなっていて、そんな時の知らない女子からの電話に、久々に学生であることを実感した程です。
それが突然のキッカケになって、2年と数ヶ月振りに、学校に行けたのです。
何より、掛かった事のない あの子は誰か、名前と顔が気になって、それが私を動かし、学校に戻したのです。
「○ちゃんに、楽しみにしていることを伝えて下さい。」
と伝言を残してくれたの だとか。
登校した日、何の変わりもなく、毎日通ってたかと錯覚するくらい、一つもサプライズなく、普通にクラスに馴染みました。
そして彼女を見つけました。
休み時間、教卓に立って やけに明るく友達と はしゃいで いた女子です。
内向的で、彼女にチラチラ視線を送ることしか出来ず、電話が嬉しかったことも伝えられずにいて、
すると、その子が こっちを見て ニッコリ笑ってくれたのです。
このことが ずっと印象的に残っていて、自信につながった瞬間だったとも思っています。
この後も学校に行けるようになって、友達もできました。
●まとめ
怒らない両親と、
付かず離れずに対応してくれた学校、
さりげない気配りをくれたクラスのみんな。
それらの要素があって、何事も無かったかの様に通学を再開出来るようになりました。
私は恵まれていました。
参考になることが ありましたら、嬉しく思います。
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