私は、90年代に中学生活で不登校の時期がありました。
元々、保育園の頃から外で遊ぶというよりかは、建物の中で絵を描いたりして遊ぶのを好む、大人しい性格でした。
また、背も小さくイジメの対象になりやすい部分もありました。
小学生の時から友人関係でも悩むことが多かったので、学校に行きたくないと感じることはありつつも、真面目な性格だったので最後まで通うことは出来ました。
中学生活になってからは、地域の中で2つの小学校が合わさって1つの中学校になった為、新しい友人の出会いもあり最初はとても新鮮だった記憶があります。
女の子同士の中で1番多いのが、グループが作られることでした。一つのグループのいると、他のグループの子の子と仲良くすると嫌がる子もいたり、私の事を八方美人と陰口をいう子がいたりしました。
最初はそれほど気にせずに色んな友達と仲良くなりたいと、純粋に付き合っていた自分もある日をきっかけに衝撃を受けました。
グループの中で性格にクセのある子がいて、その子のことを皆で指摘し合うような場面がありました。
その時に私はその子に対して何も思ってもいないし、言ったこともないのに、他の子が私がその子の悪口を言っているかのように話してしまい、トラブルが起きました。
そのクセのある子から呼び出されて、グループの子たちからも囲まれて「そんなこと思ってたの?信じられない」とイジメの対象になってしまったのです。
今だに誰がそう仕向けたのか分かりませんでしたが、その時からスカートをめくられたり、グループからも外されたりして、何人かで行動する時も1人だったりすることもあり、学校生活が辛く思う日が続きました。
そこから家に居たい、と思うようになったのです。
ある日寝坊をした時に、母親が何度も呼びに声をかけて来ていたのでお腹が痛いと生理痛を理由に学校を休むと言いました。
その時は母親に心配かけたくないという思いもありましたが、次第にイジメの対象になっていること自体を母親に悟られたくない想いもあったりして、何日も家にいるようになったのです。
最初は勉強と分からなくなることも気にしていたものの、だんだんどうでもよくなって、自分の好きな絵を描いたりして過ごしていました。
当時、中学生日記という番組がありましたが、まさに自分がその中にいるように思えるほど、まさか自分がこうなるなんて…という想いにさらに追い込まれていました。
家族も次第に心配し始めて、母親も学校の担任に会いに行ったりしていました。
どんな話をしているのか気になりながらも、聞かないでしてあした。母親が何があったのか、聞いてきても詳しいことは話しませんでした。
母親は私の気持ちを優先してくれて、無理やり学校に行くようにとはしませんでした。それよりかは好きなところに一緒車で連れて行ってくれたり、絵を描くのに必要な物があれば買ってくれました。
3ヶ月くらいして、冬休みに入った時に家族で箱根に旅行に行った時にとても楽しくて気持ちがスーッとしたのを覚えています。
自分には家族があるし、やりたいことをもっと見つけていぇばいいや、気にせずに勉強だけ考えていけばいいんだとスッキリ思える良いきっかけになったのがその時でした。
そこから新学期に入って、母親と話して学校に通えるようになったのでした。
それから友人との付き合い他のグループの子たちと仲良くなること出来たり、色々落ち込む時があったりしたものの、母親の信頼してくれていたあの期間があったことが力になったのかなあと今では思えます。
母親が無理やりに学校に連れていこうとしていたら
自分の心はもっと閉じていたように思えます。
私はそういう家族にも感謝していますし、今子どもをもつ母親としてもこういったことがあった時には、あの時の母親のようにしてあげられたらいいなあと思っています。
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