私は小学6年生の頃、連休明けや新学期が始まる時期が嫌いだった。
親の再婚が理由で、慣れ親しんだ学校を転校して、6年生になって新しい学校に行くことになったからだった。私はとても辛かった。
通い慣れた通学路、優しい先生、にぎやかなクラスメイトたち。
幼いながらに積み上げてきた人間関係があったのに、何故一からやり直さなければならないのかと思っていた。しかし、転校してみると案外簡単に仲良しの友達ができた。
喜んだのもつかの間、転校早々に事件が起きた。
同じクラスのSさんの鉛筆が無くなったという小さいけれど大きな事件。
みんなで教室中を探すと、何故か私の机の側に落ちていた。
クラスの中心的な男子が叫ぶ。
「あいつが盗った!!!」
教室中の視線がいっせいに私の方に向いた。
今思えば、Sさんの席は私の斜め前だったし、Sさんが使って出したままにしていたのではないかとも思うけど、12歳ぽっちの子どもにはそんなこと考えつかなかった。
私がいくらやっていないと訴えても、誰も聞いてはくれなかった。「よそからやってきて、クラスの和を乱した子」という風に認識されてしまったのだと思う。
SさんやSさんと親しいクラスメイトたちは怒ったような、睨みつけるような顔で私を見ていた。
私は、一瞬にして「どろぼう」にされてしまった。
それからの学校生活は、とても明るいとは言えないものになってしまった。
上履きが無くなったこともあった。
「寄せ書き」と称して、ノートをぐちゃぐちゃにされたりもした。
あまりに辛くて、夏休みが終わるころ、初めて母に学校に行きたくないと伝えた。
母は「行きたくなったらまた行けばいい。無理に行くようなところじゃない。」と言ってくれた。
行きたくないと言ったら失望される、嫌われると思っていた私は、ありがたいやら、自分が情けないやらで大泣きした。
大人になってから、どうして行かなくていいなんて言ったのか聞いてみたら、
「あなたが行きたくないところへは、無理に行かせる必要ないのよ。それに、あなたは学校に行かなくたって、何が大切かわかっていたから。」と母は言っていた。
学校でいじめられているとか、なんだかわからないけど学校に行きたくないとか、学校に行けない理由は人の数だけある。
理由はたくさんあるけど、学校に行けないということは、今は心や体を休めて充電をしないといけないという自分からのメッセージなのだと私は思う。
学校に行けなくたっていいんだ。
無理しなくたって大丈夫。
なんとかなるさ。
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