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ある日を境に一人ぼっちに。逃げ続けた先に見えた、好きと才能を生かす世界。家入一真×小幡和輝対談(前編)

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僕は小学校から10年間、不登校でした。だけどさまざまな出会いやきっかけがあり、高校生3年生の時に起業しました。僕の経験が同じように不登校で悩んでいる子の役に立ててばと思い、今までも僕の実体験をもとに発信てきました。だけど不登校にはいろんなタイプがあるので、僕の体験がすべてに当てはまるとは思っていません。ということで、不登校の経験がある方々との対談企画を全8回に渡ってお届けします。
たくさんの事例の中で共通することはなにか。また不登校の経験がいまどのように活きているのかを聞いてきました。

第2回のゲストは、家入一真さんです。

※この対談は、書籍「不登校から高校生社長へ」に収録したものを、一部加筆・修正したものです。

家入一真

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1978年福岡県出身。中学2年から登校拒否、極度の引きこもりに。県立高校を1年で中退後、大検を取得し東京芸大を目指す。新聞奨学生をしながら芸大予備校に通い留年するが、父親の交通事故や自己破産などがあり、止むを得ず就職。

デザイン会社に入社し、在職中にウェブサイトのデザインや開発に興味を持つ。22才で株式会社paperboy&co.を福岡で創業、ロリポップレンタルサーバー、ムームードメイン、カラーミーショップ、ブクログなどを立ち上げ、25才で株式の一部を株式会社GMO(東証一部)にバイアウト。29才でJASDAQ市場、最年少で上場する。

現在は、クラウドファンディング「CAMPFIRE」代表取締役CEO。スマートEC「BASE」共同創業取締役。他、多数の企業の役員や顧問を務め、50社程のスタートアップ・ベンチャー投資も行う。また、現代の駆け込み寺(シェアハウス)「リバ邸」などの居場所づくりを行っている。

小幡和輝(以下、小幡):家入さん。今日はありがとうございます。早速、いろいろお伺いしたいと思いますが、学校に行かなくなった時期はいつからですか?

家入一真(以下、家入):中学校2年生です。元々のきっかけはね、ほんと些細なことで。それこそ、それまでは割と明るい方だったとは思うんですよ。

明るい方というか、クラスで誰かを笑わせたりだとか、元々絵を描くのがずっと好きだったので、4コマ漫画を描いてみんなに見せたりだとか。中央で盛り上げるというタイプではないけど、なんかよくクラスにいましたよね。4コマとか描いたりする子。

小幡:僕、学校に全然行ってないんですが、いそうな雰囲気はわかります。

家入:あ、そっか。まぁイメージで。中2くらいまではそういうタイプでした。

僕はずっとスポーツの成績は「1」とかだったんで、どっちかというと漫画とか描いてたんですが、もう一人相方みたいなやつがいて、そいつは割とスポーツが出来て、見た目もちょっと格好良くてみたいなやつで。

そいつとは、帰り道が一緒でお互い家が貧しかったんです。貧しいから仲が良いってわけではないけど、何かお互い親しいものを感じていて仲が良かったんです。
それで、ある時そいつにチン毛が生えたと。今だと笑い話ですけどね、当時はなかなか繊細な問題じゃないですか。僕とかまだ全然生えてなかったんですが、そいつが誰にも言えんけど「これはお前だけに話す」と。

それなのに、うけると思ってそれをみんなに言っちゃったんですよね。
そしたら本当に大喧嘩というか。まぁそうですね、喧嘩でもないですよね。

一方的に「これからは仲間外れだ」みたいになり、それこそ昨日までは昼休みにみんなで遊んだりしてたのが、次の日からほんとに誘われなくなってしまいました。
で、「やばいどうしよう」みたいな。1人でいるっていうのがまた辛いわけですよ。

教室とか1人でいるのとかを見られると、「あいつ1人」って思われるのがすごい嫌でとりあえず図書室に行っていました。
ある日を境に急にそういう風になってしまって。それでも何とか行ってはいたんだけど、やっぱりね…。

仲間外れにされてそれ以降、輪にも入れてもらえないのが辛くなってきて、最終的に親に「学校に行ってきます」と言って家を出るんだけど、家の裏にある納屋かなんかにずっと隠れていていました。

でもそれはやっぱすぐバレますよね。

小幡:もちろんそうですよね(笑)

家入:親としてもいきなり言うかどうか悩んだと思うんですけど、1~2日くらたったところで、「あんた学校行ってないな。どこおるん?」と。

それでも「いや、行ってる」って嘘をついて、また次の日も「行ってきます」と家を出たんですがそしたら見つかって。

引っ張って学校に連れて行かれて、でも逃げてみたいな。そっから割とずーっと逃げていました。

中3になったらまたクラス替えがあるから行けるかなと思ったけど、結局まぁ無理で…。中3も結構行ってない時期が多かったですよね。たまに行ってもほんと1人って感じでしたね。

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小幡:僕はその期間が1番辛いかなぁと思っていて。

小学2年の中間から行かなくなったんですけど、1番辛かったのが小学2年の前半くらいで、クラスに馴染めなくて、ちょっと居場所がないんだけど、うちの親が教師ということもあり、かなり行け行けという教育的なこともあり。

しかも、人口1万人くらいの小さな街なので僕の父親が教師ということを大体知ってるんですよね。そいった時に僕が行かないということは父親にも迷惑がかかるという状態で頑張っていくみないな。

家入:確かにね。何なんだろう、親にすごい申し訳ないみたいな気持ちがめちゃめちゃあるんだよね。申し訳なさとか情けなさとか色んな感情が入り乱れていて。

「お前いじめられてないか?」と言われた時に「いや、遊んでるだけだよ」っていじめられてる側が言っちゃうのってすげーわかんなと思っていて。

親に心配掛けたくないとか、親からいじめられてるって思われたくないとかすごいあるんですよね。

よく逃げろってことを言いますけど、僕は幸いにして自分で自分の身を守ると言うか、心が折れそうになったら逃げるということを一つの防衛本能としていて。

逃げたくても逃げれない人もたくさんいるし、逃げるってことすら勇気がいるってことを話される方もいたりするし。

僕はなんか親がどう言ってもほんと無理で、学校に行けなくなっちゃってほんと逃げ回っているみたいな。

親も最初は無理やり車に乗せるとか、引っ張って連れていくとか先生に来てもらうとか色々やったけど、それでも本当に無理だったから。

それでも逃げて返ってくるんですよ、僕。

これは無理だと最終的に諦めてくれたんですよ。それがすごく良かったですよね。そこから楽になったと言うか。

長男だったし親が期待していた、中学・高校・大学に行って就職をするという期待には答えられなかったかもしれないけど、とりあえず自分自身の心みたいなものを考えた時に、あえて諦めてくれて楽になりましたね。

小幡:僕もほんとそうだなと思っていて。

親と1番喧嘩した時期があって、毎朝喧嘩して、僕は「行きたくない」親は「行け」と。ほんと毎朝ずっと喧嘩し続けて、ある日、「まぁいいよ」と諦めてくれて。

その時、親からすると自分が仕事の否定というか教師の仕事をしていて自分の子供が不登校というのは今から振り返るとほんと申し訳ないと思うんですけど。

家入:そうだよなぁ。

小幡:でもまぁその時に本当に諦めてくれて、行かないという選択を許してくれたのが、今振り返ると本当にありがたいと思っていて。

そっからはそんなに辛くなかったんですよね。家に一旦いれるというか居場所があるというか。

家入:確かに。それはすごくわかります。

僕も今日も行けないというのをすんなり受け入れてくれ、部屋の中に閉じこもった時はめちゃめちゃホッとした。居心地がいいというか。

小幡:どれくらいそういう期間がありましたか?

家入:中2~中3ですよね。その後、高校受験をして福岡の進学校みたいなところに一応受かったので。

そこに行き始め、自分的にはそこで友達関係もリセットされてるし、もう一回再デビューだという気持ちではあったんですけど。

やっぱり中学校2年間のブランクがデカイというか。どう話していいかわからなく、最終的に笑い方がわからなくなっていた感じがすごくあって。「自然な笑い方ってどんなんだっけ?」みたいな。鏡の前で練習をしたのをすごく覚えています。

そういう感じで高校には入学したんだけど、結局またすぐ行かなくなっちゃったんですよね。高校に入学してからも、「行ってきます」と家を出て行かないという同じことを繰り返していたんですが、でも行く日もあったんですよね。

高校に入学した始めての運動会の当日、親に「今日は行ってくれるね?」みたいな感じで言われて、「運動会は行くよ」って答えたんですが…。

体操着に着替えるところまでは出来たんだけど、みんなが集まっている校庭には行くことが出来なくなっちゃって。トイレに篭ったんですよ。先生が来てドアをドンドンドン叩き「早くみんな集まってるぞ」「すみません、お腹が痛くて」「早く出てこい」みたいなことを何回かやりとりしていて。

最終的に「もう無理」と思って体操着と裸足だったんですけど、トイレの窓からそのまま外に出て、とりあえず一目散に逃げました。

田舎の方の高校だったんですけど、よくわからない電車に飛び乗りました。取りあえず遠くまで行ってまた戻ってきて、同じ駅で降りたらお金がかからないとそんな状況の中でも考えたりして。

最終的に北九州の方まで行ったのかな?夕方になるくらいまで乗っていました。

ふと、何もないところで降りてみようと思って。お金を持っていたのか、無人の駅だったか記憶が曖昧なんですが、とりあえず降りられたんですよね。

日も暮れかけていて、畑しかないようなところをトボトボと歩いていてたら、情けなくて、泣けてきちゃって。何やってるんだろうなみたいな。

泣いていたら、今度は鼻血まで出てきて。涙と鼻血がすごい出てきて体操着が血まみれになってヤバイみたいな(笑)で「もう帰ろう」と思って、また電車に乗り何とか家に帰ったんですよね。

夜になっていて、家のドアを開けたらお袋とかも泣いてるしお通夜みたいになっていて。後で妹とか弟に聞いたら、親もお弁当を作って、一家で応援しに来てくれたみたいで。みんなで探したけど見つからなくて、結局近くの公園で家族でお弁当を食べて帰ったみたいな(笑)

そこ以降ですかね。親も何も言わなくなったのは。

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小幡:家入さん的には申し訳ないっていう感じですか?

家入:うーん…申し訳ないという気持ちはめちゃめちゃあったなぁ…。

親から別にこういう風になれというのは特になかったけど、自分なりに勝手に長男だから、ちゃんと良い高校に行って良い大学に行ってと考えてたし。それを叶えられなかったっていうことへの申し訳なさとか。自分自身へのがっかり感とか。

じゃあ学校に行けばいいじゃんって思われるかもしれないけど、それはもう無理みたいな。足は動かないみたいな感じですかね。

その件を境に行かなくなった。僕が高校に受かったお祝いでPC98という中古のパソコンを親から買ってもらって、それでめちゃめちゃハマってプログラミングとかをやっていて。

先生はすごい良い人で、「お前のためにプログラミング部みたいな部活を作るから、とりあえず部活から顔を出したら良いじゃん」とか、色々声を掛けてくれて。顔も名前も思い出せないけど(笑)

それも学校に行くのは無理で、とにかくひたすら家でC言語を書くということをやっていましたね。

小幡:そっから新聞配達を?

家入:もうちょい先だね。でもバイトはちょこちょことやってたかな。自分で欲しいプログラミングの本とか色々と買いたいものがあって。自分自身も外との接点を持ちたかったんだなと思います。

ほんとに家にずっといて、本屋には行きたいんだけど、日中はなんか友人とかとすれ違うんじゃないかと怖くて出れなかった。夜遅い時間までやっている本屋があったので、夜遅くなって出かけるみたいなことを繰り返してました。

うちもすごく貧しかったんで、本買うお金とかたまにくれたけど、基本的には買ってくれないんで。自分でバイトをしようと思って新聞配達を始めて。新聞配達は何も考えずにやれたので。出会いとかもないし、割と向いてたなぁと。

新聞配達をやっていて、そうこうしていたら高1で多分退学になりました。

プログラミングをやる一方で、元々絵を描くのも好きだったんで描いていました。ほんと家に引きこもりなんで描くモチーフが花瓶とか、最終的に自分の手しか描いてなかったですけどね。ずっとデッサンばっかりやっていました。

福岡なんですけどSOGO(そごう)っていうデパートがあって、SOGOで印象派の展示があるみたいよとか色々誘ってくるんですけど、基本的に興味がないというか、何より外に出たくないし。

親からすると、たぶん何か理由をつけて外に出したかったと思うんですけど。

ある時、母親が山田かまちって人の展覧会があるから行かないかと誘ってくれたんですが、山田かまちって人の話は何か面白そうだなと思ったので出たんですよ。

山田かまちは幼少期からほとばしる才能で、めちゃくちゃ絵を描きまくっていて、24時間じゃ足りないみたいなことを言ってて、詩とかも良い詩を残しているんですが。

この人はすごい才能があったにも関わらず、本当に生き急いで生き急いで、最後は衝撃的な死に方をしていて。17歳の真夏の暑い日に上半身裸でエレキギターをかき鳴らしていたら、感電して17歳で亡くなってしまったんです。

この人の展示に行った時に、ちょうど僕も彼が亡くなった年齢と同じ年齢だったのかな。

それでなんか俺なにやってるんだろうみたいな。

自分は同じ年代なのに引きこもっていて、のうのうとエアコンの付いた部屋でプログラミングとかしていている。

「逃げる」っていう単語が彼の詩の中に出てくるんですよね。「逃げる逃げる ぼくは逃げて飛びつづける」という一節があって。

そういう詩にも衝撃を受けて、そこから僕も絵をちゃんと学びたいと思いました。

今まで我流でデッサンとかやっていたけど、ちゃんと学校に行きたい。学校に行くには大検(現・高卒認定)をまずは取らなければいけない。そこで大検の勉強をまずは始めて、東京芸術大学を目指すみたいな流れですね。

だた、デッサンは自分でやっていてもうまくならないんで、予備校のような画塾に通いたいと思いました。家ではお金が出せないというので、どうしたもんかなと思った時に新聞奨学生の広告を見つけました。

住み込みで朝と夕方に新聞を配れば、学費とちょっとしたお小遣いみたいなものを新聞社が出してくれる制度で「これだ!」と思い即効で電話をして、面接をしにいって…という感じでしたね。

後編はこちら

色んな人がいて色んな人生がある。だからあなたにも自分の人生を生きてほしい。家入一真×小幡和輝対談(後編)

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NagomiShareFund & 地方創生会議 Founder/内閣府地域活性化伝道師

1994年、和歌山県生まれ。約10年間の不登校を経験。当時は1日のほとんどをゲームに費やし、トータルのプレイ時間は30000時間を超える。その後、定時制高校に入学。地域のために活動する同世代、社会人に影響を受け、高校3年で起業。様々なプロジェクトを立ち上げる。

2017年、47都道府県すべてから参加者を集めて、世界遺産の高野山で開催した「地方創生会議」がTwitterのトレンド1位を獲得。その後、クラウドファンディングと連携した1億円規模の地方創生ファンド「NagomiShareFund」を設立し、地方創生の新しい仕組みを構築中。GlobalShapers(ダボス会議が認定する世界の若手リーダー)に選出。

「高画質」 小幡和輝プロフィール 横長

メディア出演 NHK・フジテレビ・日本経済新聞・The Japan Times など

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僕自身も中学生までの10年間、不登校でした。しかし、その後は大学まで進学し、現在は会社の代表を務めています。

その経験を経て言えるのは「不登校は悪いことではない」ということ。行きたくない子を無理やり学校へ行かせるのも、良くありません。

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小幡和輝
約10年の不登校を経験後、高校3年で起業。#不登校は不幸じゃない 発起人 メディア出演 『NHK おはよう日本』『フジテレビ バイキング』ほか多数。 著書に『学校は行かなくてもいい』『ゲームは人生の役に立つ。』『子ども稼ぐ力』など 詳しいプロフィールはこちらの記事をご覧ください!