P.N.リリー
僕は今タンスの中に身を隠している。
学校へ行きたくないから家族の皆が仕事で家を空けるまでここに隠れているんだ・・・。
なんで学校へ行かないのか?
何でだろう…、
自分でもよく分からない…。
イジメを受けてる訳でもないし、友達がいないわけでもない。
友達は多い方だし、不登校になる前はクラスの中心で話しているタイプだった。
だけど、ある日を境に学校に行けなくなった。
目次
学校に行けなくなった理由
最初は軽い気持ちで学校をサボったんだけど、気づいたら次の日も、またその次の日も…
行かなきゃいけないってのは分かってるんだけど、学校を休んだという引け目が足枷となってるんだ。
不自然な休み方をした手前、学校へ行っても先生や周りの反応だったり、視線が気になってどうしても行けない…。
それは家族にも同じ事が言えて、最初に学校を休んだ時期の反応がやはり良くなかった。
『なんで休むの!?』
『頑張って行きなさい!』
『今日は仕方ないけど、明日は必ず行きなさい!』
不登校に対して理解を示そうとはしてくれず、どちらかと言えば否定的な反応だった。
だけど叱るとかではなく、何ていうんだろうか・・・、
悲しそうな感じだったかな。
悲しませたくはないし、決して困らせたい訳じゃないけど、それでも学校には行けずにいた・・・。
学校に行ったフリをしていた日々
心配かけたくないから家族には学校へ行ったフリをして、タンスに隠れる事にしたんだ。
外をブラブラしていた時期もあったけど、警察に補導されて学校と家族の両方に連絡がいくというミスを過去に犯してしまった。
僕にとってはもうここが唯一の居場所なんだ…。
学校からの連絡を絶つ為に、自宅の電話線はいつも抜いてある。
だけど家族がいる時間帯に学校の誰かが家を尋ねてきたら全部バレてしまうだろう。
家のチャイムが鳴るたびに心臓が悲鳴をあげる・・・。
鳴り止まない鼓動を必死にかき消すように、息を殺してタンスに身を隠していた。
結局一週間も経たずに先生や、友達が家に訪ねてきた事で学校へ行ってなかったことはすぐにバレてしまった。
だけど僕はそれから一年もの間、タンスの中へと身を潜め続けたんだ。
家族がいなくなったらタンスから出てテレビを見て過ごし、たまに仲のいい友達と遊ぶといった日常をただただ送っていた。
不登校になり数ヶ月が経つ頃には、家族も学校の先生も僕には何も言ってくることはなかった。
だけどそれは理解を示すといったものではなく、ただ諦めたといったほうが正しいだろう。
三年生の途中からは再び学校へ行くようにはなったが、それでも半分は休んでいた。
中学卒業後の進路
高校へは出席日数の関係もあり定時制か通信制しか選択肢がなく、働きながら定時制に行くことにした。
今考えると高校に進学したのも常識という波に流されてしまっただけで、僕の中では結局なんら意味を持たなった。
案の定、高校生活も長くは続かずに、一年ほどで辞めて美容師の道へと進んだ。
現在は35歳となり、選択肢を広げてポジティブに生きる事の大切さを去年の夏辺りからインターネットを通じて発信している。
インターネットを通じた発信のキッカケ
そのキッカケとなったのが、
一年前に発症した鬱と、甥っ子の不登校だ。
鬱からの脱却
鬱の話はここでは控えるが、約半年間は地獄の日々だったが現在では完治してポジティブに生きている。
そこから這い上がれたのは、狭かった視野を広げれたことが大きな要因だ。
真っ暗でが全く先が見えない一本道に、新たな道が現れた。
その道には光が燦々と差し込み、立ち止まっていた私は再び歩くことができた。
私自身が新たな道を照らしてあげる事はまだまだできないかもしれない。
だけど同じ経験をされて苦しんでる方が少しでも笑顔になれ、前を向いて歩ける一つのキッカケにとなればとの想いで日々ブログを書いている。
甥っ子の不登校
甥っ子も不登校だとお伝えしたが、彼は現在中学三年生。
小学生の後半の時に自閉症と診断され、その頃辺りから学校にはほとんど行けてないようだ。
自閉症である彼と、私の性格がとても似ていて被る部分が多くあると去年母に言われた事があった。
感受性が強すぎて人の発言、行動、リアクションなどの細かい部分に対して異常なまでに意識が向いてしまう。
他の人からすれば些細な事でも僕らにとっては神経をすり減らすほど考え込んでしまい、大勢の中に溶けこむのがとにかく苦手なのだ。
甥っ子とは年に数回しか顔を合わせることは無いが、いつも元気で、楽しくワイワイしている姿を見てきたから自閉症と聞いた時は正直驚いた。
それと同時に、自分も一種の『発達障害』なのかもしれないと考えるようになった。
思い当たる節は自分でも若干ある・・・。
すると母からさり気なく頂いたまさかのサプライズ発言。
『貴方もあの子とは少し違うけど、発達障害だよ』
え!?そうなの!?
ってか今更それ言うのかよ・・・。
ま、いっか・・・。鼻ホジホジ
私自身これまで35年の間、普通のつもりで生きてきたから今更発達障害だと言われても正直どうでもいい。
だけど甥っ子は違う。
何故なら、彼は思春期真っ只中。
自閉症と、不登校という一般的にはネガティブに捉えられる二つを背負っていて精神的に大丈夫だろうか・・・。
私は昔から自分の弱さを人に出す事が凄く苦手で、全てを一人で背負ってしまう。
家族はもちろん、友達にすら相談する事ができなかった。
それは私が世間の常識という枠からはみ出てる事が多いからなのかもしれない。
自分でも周りとは若干考え方のズレがあると自覚しているために、相談しても受け入てもらえないだろういう思い込みが少なからずあって中々相談できなかった。
仮に甥っ子も一人で抱え込むタイプならばとても辛い思いをしているだろうし、自閉症や不登校が原因で将来を悲観的に見てる可能性は大いにありえる。
私に何か力になれる事はないだろうか・・・。
勇気を出して家族と向き合おう
数ヶ月後、甥っ子の母でもある、私の姉から一通のラインが届いた。
『貴方が中学生の時、ただ否定するだけで何一つ話を聞いてあげれなくてごめんね。
うちの息子もずっと不登校で漸くあの時の君の気持ちが分かったよ。
いつも一人で辛かったよね。何も気づいてあげれなくて本当にごめんね。』
これを見た時は流石に涙が溢れた。
私の家族は母と、姉二人の4人家族。
昔から姉達とは仲が悪く、まともに話した事がこれまでほとんどなく、私自身家族の前で笑顔になった事すら記憶にない。
母は私達3人の兄弟を育てる為、
当時は昼から深夜遅くまで働いてくれていたので、家族では喋る相手が誰一人居らず小学生の頃から一人でご飯を食べるのが当たり前だった。
家族との付き合い方がよく分からない。
恥ずかしながら姉達とは未だに目を見て話せないし、上手く話す事すらできないヘッペコ野郎だ。
過去の自分にアドバイスとして何か伝えるならば、学校に行く必要はないから、勇気を出して家族としっかり向き合いなさいと伝えたい。
そしてしっかり話を聞いてあげた上で、一緒に最善の道を探してあげたいと思う。
不登校が否定されない社会
不登校が否定的な捉え方をされてる現状ではどうしても当事者は引け目や劣等感を感じてしまう。
周りに関しても登校拒否している子という色眼鏡で見てくる事がほとんどだ。
仮に不登校が否定されない社会ならば、精神的に追い込まれる生徒は間違いなく激減するだろう。
それには不登校児に対する将来への選択肢を大人がもっと増やしてあげる事が大切だ。
そして不登校だからといって悲観的になって蓋をする必要はないんだよと世間一般に訴えていく事が必要である。
世の中には不登校を肯定する気にはなれないと仰る親御さんも大勢いるだろう。
そういった方は不登校が将来的に引きこもり、無職、コミュ障、社会不適合者になる大きな要因だと思い込んではないだろうか?
本質的にそれらは不登校児に対する圧倒的偏見と、不登校児に与えられる選択肢の少なさが大きく関係している。
要は学校へ行くのが当たり前という風潮こそが、不登校児をその時だけではなく将来的にも苦しめる大きな要因となっているのだ。
そして義務教育という形を学校という狭い空間にとどめるからイジメも起きるし、逃げ場所がないから自殺に追いやられる子がいる現実にも目を向けるべきである。
インターネット社会である今ならば、余計に学校という狭い空間に縛られる必要はないし、
大人からも時代の潮流にあった将来の選択肢を十分に与えらえると思う。
昔とは働き方に対する概念が大きく変わってきているのだから、個の力を伸ばしてあげる事が将来を見据えた時にとても大切だ。
少なくとも個人個人に合った登校スタイルをもっと設ける必要性があるはずだ。
大人が世間体を気にして、古臭い常識で子供を無理やり学校へ行かせる事で、どれだけの可能性と命が奪われているのかを私たち大人は今一度考えるべきである。
学校に通う道しか用意されてないのはあまりにも酷だと思うし、
個人個人に合った登校スタイルを設ける事で不登校=マイナスといったイメージもなくなるはずだ。
甥っ子の現在
甥っ子は現在、毎日の家事はもちろん食事の用意まで進んで行っているようで、私の中学生時代とは比べものにならないくらい良い子だ。
それは家族全員が互いの気持ちをや性格を尊重した上で、真剣に向き合えた結果だろう。
仮に不登校を否定的に捉え、強引に気持ちを押し付けていたら誰一人として笑顔になれてなかったと思うし、彼の居場所も無くなってた可能性すらある。
中学卒業後は彼が歩みたい道を照らしてあげれるように私自身も日々精進しなければと心から思う。
不登校で悩んでいる子へ伝えたいこと
最後に現在不登校で悩んでる子へ。
不登校だからと言って将来を悲観的に考える必要なんて全くないし、どんな状況でも自分に合った道が必ずあります。
ポジティブに前を向いて歩く限り、
あなたの道には必ず光りが差し込むでしょう。