P.N.絢可
小学生の頃からガリ勉させられてた。
「100点は取って当たり前。」
そう言われて育った。
平日は放課後から約8時間。
休日は朝から深夜まで。
これが私の中学時代の勉強時間。
学年の順位は常に一桁台。
それでも塾に通う子にはかなわなくて、トップを取れない私に母は満足しなかった。
テストの結果、あと1点で満点だった時。
両親は99点の努力を認めず、足りない1点を責めた。
父の実家と上手くいかない母は、私の成績を盾にしていた。
私はそれを知っていたから、抵抗出来なかった。
父は元々勉強の出来る人。
出来ない人の気持ちがわかる人じゃなかった。
ずっとガリ勉でろくにテレビも見られなくて、流行に疎い私はいつもクラスでは浮いた存在。
でも、なりたくてこうなんたんじゃなかった。
小学校まではなんとかなっていた人間関係も、中学校入ったらガラガラ崩れていった。
両親と学校の板挟みに限界を超えた時、それまで認識できた人の話や文字が認識できなくなって。
中学2年。
学校、行けなくなった。
あれから14年が過ぎた今でも、机に向かうことが苦手。
身体と心にある、消えること無い傷痕。
それでも夢を抱き、やっと働き始めたり。
間違いなく、人生で今が一番幸せ。
その幸せは、不登校がもたらしてくれた。
本当に大切なことは何か。
本当に大切な人は誰か。
不登校になって初めてわかった。
そして、自分の人生を大人達から取り戻せた。
自由に生きるのって、きっと一番怖いこと。
勇気が要る。
でも学校に行かない自由を選んだなら、それは間違いなく大きな一歩。
大丈夫、立ち止まってなんかいない。
進んでいない人なんて、きっといないよ。
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